
風のタウマゼイン
今月のガイア


僕の桜ライン311との出会いは、
2012年4月に当時の副代表の佐藤一男さんに
陸前高田でお会いしたのがきっかけで 今日に至ります。
震災後7ヶ月がたった10月に、被害が最大規模であった岩手県陸前高田市社会福祉協議会へ連絡して単身向かいました。
愛知県から、車を夜通し走らせ早朝5時30分ごろ陸前高田市に到着し、朝日がのぼり、目の前に広がった灰色の街を見た時のあの絶望感は忘れられません。因みに、僕のフェイスブックのカバー写真は、その時の写真です。
この時は、3日間の瓦礫片付け等のお手伝いをさせていただき愛知県に戻って来ましたが、その後も陸前高田のあの光景が忘れられず、
愛知県で何事もなく生活しているのがとても心苦しくて毎日陸前高田のことばかり考えておりました。
そんな時に、桜ラインのことを知り佐藤さんに会いに行き震災前のこと、震災時、震災後のこと等のお話をお聞きし、そして、桜ラインの主旨をご説明いただき、活動主旨に賛同し今日までお手伝いさせていただいております。
「私たちは、悔しいんです」
これは、 桜ライン311の活動主旨の冒頭の言葉です。
桜ラインのスタッフのみなさんも 被災者です。
発足当時、よく口にしていたのは 「こんな辛い思いをするのは 俺たちだけで十分だ。
また何年かして今回と同じような地震が起きた時には少なくとも、桜並木よりも高くに避難して今回と同じような被害者を出さないでほしい」
陸前高田市の津波の到達地点を線で結ぶと、約170キロメートルあり、そこに10メートルおきに桜の樹を植樹し桜並木をつくり、今後大きな地震が起こり津波の危険がある時には、桜並木よりも上に避難する。
今回の春の植樹会で、植樹本数が約1400本になりました。
桜ラインの活動は桜の植樹ももちろん大切ですが、後世に今回の震災の教訓を、語り継いで行くことのほうが大切だと思います。
僕も微力ではありますが、これからも桜ライン311の活動を広め続けて行きたいと思います。
最後に、今回このような機会を与えて下さった風見先生はじめ、渋谷さん、ガイアのみなさまに心から感謝申し上げます。
堀川元基
桜ライン