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ガイア都市創造塾 第二期生 仙台校

美術工芸作家 新田亜紀子

 


研究テーマ

 

芸術によるまちづくりの方向性についての研究

―ものづくりと田園都市論の視点から-

なぜ、今、大学院に挑戦しようと思ったのですか?


自己紹介も兼ねて書きますと、これまで美術の活動を地域密着で2007年から行い、地元の画家さんとギャラリーを共同で運営しながら、子ども達への絵画造形指導も仕事として取り組んできました。その後、独立し、自身のお店を持ち、まちの催しを2年観てまわりました。ギャラリーで待つ側から、行く側の視点でまちをみた時に、まちづくりにとても興味が湧いてきました。ここ数年、キャリア教育の授業が中学高校でも取られはじめ、年に一度母校へお邪魔していく中で、私の学生時代よりも少子化が進んでいる現状をみて、どうにかならないものかと思っておりました。同じ大崎市でもついに廃校となった小学校が出て、場所の利活用についての話し合いが行われ、その講演に風見先生が来られ、お会いしたのが去年2月の事でした。先生の講演内容には、「私の住むまちもこうなったらいいのになぁ~。」と漠然と思っていた事が画面いっぱいに描かれており、さらに学問として示されており、すごく夢があって、この東北の地で生き続けていく知恵が詰まっているのを感じ、強い感銘を受けました。そうした中で、「もっと私自身も、学ばねばならない。」ということをひしひしと感じはじめました。私の愛するまち、大崎市に住み続ける人を増やすにはどうすればいいのか、魅力あるまちにするためには、どういうことをしていったらいいのか、その思いの中、先生との出会いもあり、大学院に挑戦しようと思いました。
 


受験をするにあたってのリアルな葛藤、ハードルを乗越えたエピソードは?
   
受験にあたり参考文献を集め、目を通し、とにかく考えをまとめることをしていきました。日々の仕事と同時に行っていたので夢中でした。でもとても楽しい時間でした。県の図書館と近くの図書館に毎週通い、自分がしたいことに関連している本をみつけ借りては返し、その繰り返しをしつつ、気になる言葉をノートにひろっていくことをしていました。移動中にそのノートを開き、また浮かんだことを常に書き込んだりしながら自分用の勉強ノートにして文章をまとめる時に使いました。途中、不安になる時もありました。初めてのことをする時に感じる不安感でした。そうした気持ちが途中込み上げてきた時に、「駄目でもやったことは、自分の中に残り勉強になるからとにかく頑張ってみよう。」と思うことが出来ました。

 


受験のプロセスでの感動エピソードを聞かせてください

研究テーマをまとめることも、初めてでしたので書き方を学び、関連の本を読んでいく中でアートの視点から、参考になる事例もたくさんありました。過去に直接観てきた、「まちとアート」の取り組みやちょうど受験期間に宮城県石巻市でリボーンアートフェスティバルも開催されましたので、どんな形でまちの中にアート作品を飾っているかも観てきました。そうした取り組みでまちが元気になり、移り住む人が増え、人口増となったまちも全国をみるとあります。アートが地方を元気にする力となれるといいなと思いました。受験には、どういった出題の小論文が出されるかわからないので、新聞やニュースを常にみることをしつつ、書き方なども勉強しました。とにかく受けてみないと結果はどう出るかわからない、わたしにとって挑戦でした。大学院受験を私は、家族にしか伝えておりませんでした。ちょうど合格発表の日は、いつも通り仕事のお店営業の日でしたので、友人やお客様がきておりました。大学のHPからの発表でしたので、「実は、受験をしたんです。そして5分後に発表なんです。」そんな流れでたちあって頂き、みた画面に番号が並んでいました。「合格」に手が震えました。友人からも自分のことのように喜んでいただきました。

 


風見先生から言われた印象に残る一言
 

「常に素直であること。」という言葉が残っています。あとは、先生の千日千言のブログで「進化するために」のページで「~今日もひたすら 明日もひたすら~」その言葉になんだか受験後の発表を待つ期間救われたようでした。とにかくひたすらに歩もう!そう思えました。
 


卒業後は大学院での学びをどのように生かしますか?

地方を元気にするために自身がこれまでしてきた事とも絡めて、協力してくれる方々を増やし、より地域を盛り上げていくことに奮闘したいです。あとは、これからの世代の子ども達のアートに関わることでの手助けや協力となる指導を行い、また幅広い世代の生きがいとなるアートを通して集まれる場をつくりたいです。

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